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大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)4414号 判決

原告 竹内九造

被告 西田正一 外四名

主文

被告西田は原告に対し、別紙物件目録〈省略〉(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和三八年一〇月二四日以降右明渡済に至るまで月金一万円の割合による金員を支払え。

原告に対し、被告柴田は右建物中同目録(三)の(イ)記載の、被告西谷は同じく(三)の(ロ)記載の、被告瀬田は同じく(三)の(ハ)記載の、被告北原は同じく(三)の(ニ)記載の、各占有部分から退去してその敷地部分を明渡せ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は、原告において、被告西田以外の被告らに対しては無担保で被告西田に対しては金一〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文一、二、三項と同旨の判旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として「別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地という)は原告の所有である。被告西田は本件土地上に同目録(二)記載の建物(以下本件建物という)を建築所有してその敷地である本件土地を不法占有している。被告柴田は本件建物中目録(三)の(イ)記載の、被告西谷は同じく(三)の(ロ)記載の、被告瀬田は同じく(三)の(ハ)記載の、被告北原は同じく(三)の(ニ)記載の、各部分を占有使用することによつてその敷地部分を占有している。そこで原告は本件土地の所有権に基づき、被告西田に対しては本件建物を収去して本件土地を明渡すことともに、本件土地の占有による賃料相当の損害金として本訴状送達の翌日である昭和三八年一〇月二四日から右明渡済まで月金一万円の割合による金員の支払を求め、被告西田を除くその余の被告らに対してはそれぞれ本件建物の占有部分から退去してその敷地部分の明渡を求める。」と述べた。

立証〈省略〉

被告西田訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として「本件土地が原告の所有であることは認める。しかし本件建物は訴外豊田工業株式会社(以下豊田工業という)の所有であつて、被告西田の所有ではなく、本件土地は被告西田が占有しているものではない。即ち、本件土地は原告が昭和二九年以来豊田工業に賃貸しており被告西田は昭和三三年八月豊田工業の注文に応じて本件土地及びその西側隣接地上に家屋(借家)を建てる請負契約を締結したが、その契約内容は、(1) 建坪一一坪の建物を二八戸建築する、(2) 請負代金は金七七〇万円とし、その支払方法は完成した建物を第三者に賃貸し、その権利金又は保証金で充当し、不足額は豊田工業で負担する、(3) 請負代金完済までは第三者に建物を賃貸するのは被告西田が一切これを行う、(4) 権利金又は保証金は金二五万円とする、大体以上のとおりであつた。かくして工事に着手したが、途中で豊田工業と被告西田が相談の末、当初の計画を変更し、家屋は一二戸のみとし、残余の家屋建築を取り止め、その敷地に予定していた本件土地上に本件建物(市場)を建築することになつたのであるが、初めの約束と同様、被告西田が本件建物の工事費一切を負担し、完成の暁には、被告西田において入居商人を募集して権利金又は保証金を受取り、これを請負代金に充当し、豊田工業には本件建物に全部商人を入れいわゆる満店舗の状態で引渡すことを約した。かくして被告西田は本件建物を建築完成し入居商人募集に着手したが、思うように入居者がなく、やむなく権利金保証金を受領せずに商人を入れたりして昭和三四年一二月市場として開場したけれども、結局市場の経営は完全に失敗し、被告西田は多額の損害を受けることになつた。しかして右市場は到底再建不能で損害の回収は不可能なることが明白になつたので、被告西田は豊田工業に対し本件建物を引渡した。以上のとおりで、被告西田は上述の契約に基づき本件建物に入居させる商人の募集、賃貸借契約等の行為をしたものであつて、単なる建築請負人に過ぎない」と述べた。

立証〈省略〉

被告柴田、同西谷、同瀬田は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として「本件土地が原告の所有であること、又本件建物が被告西田の所有であり被告柴田、同西谷、同瀬田が本件建物中原告主張部分をそれぞれ占有していることは認める。しかしながら同被告らはその各占有部分を本件建物の所有者である被告西田から適法に賃借して使用しているのであるから、原告より退去の請求を受けるいわれはない」と述べた。

被告北原は本件口頭弁論期日に出頭しないがその陳述したものとみなされた答弁書には右被告柴田らの申立及び答弁と同趣旨の記載がある。

理由

本件土地が原告の所有であることは当事者間に争いがない。

被告西田は本件建物が自己の所有に属せず従つて本件土地を占有していない旨争うのでこの点につき判断すると、成立に争いない甲一、三、四及び六号証、同乙一号証の一、被告西田本人の供述によつて成立を認めうる乙二、三号証、乙四号証の一、二、乙五号証に証人岡本浅吉、同塚山一朗、同堀本和夫、同豊田来吉の各証言及び被告西田本人の供述を総合すれば、「被告西田は建築業者であるが、昭和三三年八月頃訴外豊田工業株式会社の注文により、当時同会社が原告から賃借していた本件土地及び西側隣接地上に家屋(借家)二八戸を建築する工事を請負つたが、その契約内容は、材料その他工事に要する一切の費用は被告西田が負担する、請負代金は金七七〇万円とし、その支払方法は、建築した家屋を第三者に賃貸し、その権利金で充当し、不足額は注文者が支払う、代金が完済されるまでは、家屋の賃貸借契約は被告西田において行い、豊田工業が直接これを行うことはできない、大要以上のようなものであつたこと、そこで被告西田は工事に着手したが、中途で双方協議のうえ当初の契約を変更し、本件土地上に建築を予定していた家屋一六戸の代りに本件建物(市場)を建てることとし、その請負代金は、被告西田において本件建物内店舗に商人を入居させ、その権利金を以つてこれに充て、商人が全店舗に入居し代金が全部回収された上で豊田工業に本件建物を引渡すこととする外、大体当初の契約通りとする約定になつたこと、よつて被告西田は、豊田工業との連名で建築申請をし、約金六〇〇万円の費用を投じて翌三四年春頃本件建物を建築完成し、入居商人の募集をはじめたが、予想に反して入居希望者が思うように集まらず、しかも資力のある商人が少なく、三〇店舗中権利金二〇万円を全額支払つて入居したのは五人位で、ほか四、五人の入居希望者からは金二、三万円宛の入金があつたのみで、請負代金の回収が困難視されるようになつたが、いつまでも開店を延ばすわけにもいかず、やむなく権利金は入居後に営業の収益で支払つてもらう条件で残余の店舗入居者を募り、ようやく同年一二月に市場として開店するに至つたが、当時なお数店舗については入居者がなかつたこと、その後も被告西田は未払権利金や賃料で請負代金を回収すべく引続き本件建物の運営管理を続けていたが、結局市場としては失敗に終り、入居者も未払権利金、賃料等を満足に支払わないまま次々に退去してしまい、現在被告柴田ら四人が残つているに過ぎず、被告西田は工事着手金として豊田工業より受領した金一〇万円をいれて請負代金の半額も回収できないでいること、その間本件建物内店舗に入居した商人の募集、賃貸借契約の締結、権利金、賃料の授受等はすべて被告西田が自己の名でこれを行い、豊田工業は一切関与していないこと、豊田工業としても、請負代金が未済であることからあえて本件建物の引渡を求めようとせず、従つて諸帳簿に資産として記載することもしておらず、却つて市の家屋課税台帳には被告西田の所有として記載され、昭和三五年度分以降現在までの固定資産税を被告西田において支払つていること、なお、本件建物が市場として開店したとき豊田工業の社員が一名来会し、その後被告西田が豊田工業の事務所に開店の際の諸費用の領収書等を持参したことがあるほか、本件建物が豊田工業に引渡されたと目すべき何らの事実もないこと、」以上の事実を認めることができ、証人塚山一朗、同堀本和夫、被告西田本人の各供述中右認定に反する部分は採用しない。右事実に徴すれば、本件建物は、請負代金完済まで被告西田において豊田工業への引渡ひいては所有権の移転を留保する約定であり、建築完成によつて被告西田がその所有権を取得し、その後豊田工業に対する引渡を経ずに依然被告西田がその所有権を有しているものと認めるを相当とする。(もつとも市場として開店の際に豊田工業の社員が来会し、又被告西田が領収書等を持参した事実があることは前記認定のとおりであるけれども、その後も被告西田が自己の名で本件建物の一切を管理運営し、豊田工業はこれに関与しなかつたうえ、会社の帳簿にすら記載していなかつた事実や被告西田において権利金等で請負代金を回収した後に引渡す旨の約定があり、右書類の授受の際にも特に請負代金の精算がなされた事実はないこと、更には豊田工業の代表取締役である証人豊田来吉の「被告西田から豊田工業が本件建物の引渡を受けた事実はない」旨の供述等に照すときは、前記のような単なる来会や書類の授受のみをもつて本件建物の引渡がなされたものとは到底解することはできない。)他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、被告西田は本件建物を所有することによりその敷地である本件土地を占有していることになる。

ところで、借地人がその借地上に建物を建築するために請負人と建物建築の請負契約を結ぶにあたつて、注文者である借地人が請負代金を完済するまでの間建物の所有権を請負人に留保する趣旨の契約条項を取り決めることは、世間によくみられるところである。かかる場合、建築された建物の所有権が請負代金の完済まで一時請負人に帰属する状態は、借地人が借地契約において所期する建物所有の目的を実現する過程で起こる現象であるから、土地所有者としても、その状態が社会通念上相当と認められる期間範囲である限りにおいて、これを受忍すべきである。しかし、その状態が右の期間範囲を超え、請負人が建物の所有者として長期間に亘つて借地人の借地を占有支配し、借地人に対する建物所有権の移転並びに借地の引渡が期待しえないような場合においては、土地所有者としては、かかる請負人の土地占有を受忍すべき義務はないものというべく、請負人がその占有権原について主張立証しない限り、請負人は、土地所有者に対して該土地を不法に占有するものといわざるを得ない。

以上の観点からすると、本件建物が市場建物として昭和三四年春頃完成し、同年一二月開店した事実その他の前記認定事実、及びこれらの事実から推認されるところの、右開店当初からすでに請負代金の全額回収が危ぶまれており、その後市場経営の失敗によつて豊田工業が被告西田から本件建物の引渡並びに所有権の移転を受けることが期待しえなくなつた事実を考え合わせると、原告は、社会通念上相当と思料される少なくとも昭和三四年末までの間は、請負人たる被告西田が本件建物を所有してその敷地である本件土地を占有することを受忍すべきであるが、その後における被告西田の本件土地占有はその権原についての主張立証がないから、不法のものと認めざるを得ない。そうだとすれば被告西田は原告に対し本件建物を収去して本件土地を明渡し、かつ、不法占有者として、占有を始めた後である昭和三八年一〇月二四日(この日が訴状送達の翌日であることは、記録上明かである)以降右明渡し済まで月金一万円(本件土地の賃料相当損害金が月一万円であることについては同被告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす)の割合による損害金を支払う義務がある。

次に被告柴田、同西谷、同瀬田、同北原が本件建物中原告主張の各部分を占有使用しその敷地部分を占有していることは、当事者間に争いがなく、又同被告らの関係では、本件建物が被告西田の所有であることも争いがない。そうすると、被告西田の本件土地占有権原につき主張立証なく、同被告が原告に対し本件建物の収去義務を負う以上、これに伴つて被告柴田、同西谷、同瀬田、同北原が原告に対し本件建物の各占有部分から退去してその敷地部分を明渡すべき義務を有するのは当然である。

よつて、原告の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 木下忠良 岩川清 柴田和夫)

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